さて、この史実を冷静に胸において、現在ぼくらが直面している地球温暖化という問題、それが「科学で検証されつつある」という事実、そのことをよく考え直すことも必要だろう。少なくとも、「熱狂」できるほどの根拠があるといえるのかどうか。ぼくらは、歴史上のある一時点に立っているだけだ、ということを常に胸に刻まなければならない。
ぼくらが経験しているこの海洋や大陸や気象に関する仮説は、最終的に、ヴェリコフスキー・タイプのものだろうか、それともウェゲナー・タイプのものなのだろうか。もちろんそれは、今は結論の出ないことだし、いつか将来において決着のつくことだろう。でも大事なのは、この仮説について、「今は結論のでないことだし、いつか将来において決着のつくことだろう」という自覚の上で、ぼくらは何かの意思決定をする、そういうことなのだ。それがどんな意思決定であるにせよ、それは「熱狂」ではなく「熟慮」を持ってなされるべきだし、それでこそ責任がとれるというものだ。
そういうことを考える上で、科学についての歴史と哲学は、とても大事だと思う。歴史は、自然科学的な結論を与えてはくれないけれど、(だって時代も環境も状況も異なるから)、でも自然科学には逆立ちしたって語れない何かを教えてくれるはずだから。